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指宿 菜の花 通信(No210) 田舎医者の流儀(185)・・・苔庭

 小山田の農園は約170坪あり、30坪が農園、40坪が芝生庭、50坪が白い砕石をひいた庭になっている。残り30坪部分に、苔庭を造ろうとしてきた。2017年から道路端、知人の山野に生えている苔を戴いて、水洗いをして「苔苗代」を作り3か月ぐらい育てて、生えそろってから、苔庭部分に移植してきた。5年位かけて7割位には移植した。残りの部分は自然に苔が生えるのを待とうとしている。

 基本そのやり方で苔庭が出来てきている。周りはアナグマなどに荒らされないように柵を張り巡らしてある。それでも何度もアナグマに侵入されて、せっかく育った苔を掘り返されたことも数回ある。さすがに今はアナグマなど入り込まない対策は出来ているが、それでもモグラや大型の鳥が春先はミミズを求めて侵入してくるのを防げないでいる。朝、農園について苔が掘り返されていることは今でも時々ある。そのたび、修復する作業が待っている。

 雑草も生えてくる、除草にも精を出さざるを得ない、落ち葉の処理も難儀である。苔の上の落ち葉は箒で掃くわけにはいかない、ブロアーで吹き飛ばすわけにもいかない、いずれも苔がはがれてしまう。仕方ないので一枚一枚手で取り除いている。苔は霧状の水気が必要と言われている。苔庭の部分には霧状の水を撒けるようにそれ用のホースが張ってあり、定期的に人工的霧が発生できるようにしてある。手間暇のかかる苔庭作りだ。しかし、手入れの行き届いた苔庭の緑はきれいで、心癒される。単純にその魅力に取りつかれて、作業の大変さを忘れている。

 苔そのものの美しさは欧米でも認識されているが人工的な苔庭は日本以外では作られていないようだ。部分的に苔を植えてはいるようだが、苔を中心とした庭造りは日本独特のようだ。苔の持つ魅力を突き詰める「苔美」の追求は、我が国の精神文化の独特さを象徴しているのであろう。

 5200年前のミイラ、「アイスマン」がチロル地方の溶けた氷河の中から発見されたとき、彼のブーツには苔が一杯に詰まっていた。その中にはヒラゴケの一種が含まれていたが、アイスマンがどこから来たかを知る重要な手掛かりとなった。なぜならこれは60キロほど南の低地の谷にしか生えないことがわかっていたからである。「近代植物分類学の父」リンナエウスは、ラップランド地方に土着のサーミ族の人々の土地を旅したとき、スギゴケ属の苔でできた携帯用毛布で寝たと書いている。苔は防寒に利用されていたという事だ。
(コケの自然誌R・W・キマラー著 築地書館)

 

令和4年9月7日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦