ホーム » 指宿 菜の花通信(No.11)「マラリア」

指宿 菜の花通信(No.11)「マラリア」

22歳の青年が2W間前から、1日1回40度以上の発熱があると外来受診した。この青年は1年以上東南アジア、インド、バングラディシュなどを旅行し、10日ほど前に帰国、郷里指宿に帰ってきたばかりである。CRP18.8、血小板6.2万、いずれも決め手にはならないが、病歴、生活歴より直感的、臨床的にマラリアと考え、鹿児島大学病院に連絡した。旧同僚の血液内科の医師が診てくれる事になった。血液標本を見て、マラリアの診断は確定し、即刻入院となった。本邦では今でも年間100名位のマラリア患者が発生しているという。診断と治療が遅れないことが肝心と云われている。

医師になって40年、初めて、自分でマラリアの患者さんを診た。私は昭和45年、鹿児島大学第二内科に入局し、医師としての勉強を始めた。当時の第二内科は故佐藤八郎教授が指導されていた。昭和22年、先生が枕崎地区の検診に出かけられた時、ある地区で熱発患者が多発していて、多くが南方からの復員兵士であった。調査が始まり、マラリアが多発していることが判った。佐藤教授は「輸入マラリア」として報告され、学会でも大きな話題となった。我々の世代はまだそのことが記憶にある。

更に、10数年前に、アフリカで活動していた医師が鹿児島に帰ってきて、マラリアの診断が付いたが劇症型で亡くなった事があった。この時、マラリアと診断し、治療に当たられたのが熱帯病の専門家である前第二内科助教授尾辻義人先生であった。そのケースを詳しく教えられた事もまだ頭に残っていた。恩師お二人のお顔を思い浮かべながら、迷わずに速やかに診断に至った事を感謝している。

定年後、当院の非常勤医師となり、総合内科を担当するようになった。40年間循環器医師として、過ごしてきたが、新たな分野に挑戦している。そういう立場になったからこそ、今まで経験したことのない疾患に遭遇している。過去の小さな自分の権益に拘っていると見えないものが、この立場になり見えてくるものもある。それもまた楽しからずやである。

臨床医には経験が大事である。いくら教科書やマニュアルを覚えても見えてこない事も多い。それを超えたところに臨床の面白みがある。効率の良い研修を求める風潮があるが、経験主義の中にすっぽりとはまらないと見えて来ない真実もある。臨床の奥は深い、過酷な臨床現場での先輩の何気ないささやきの中から学び取らないといけない事も多いように思う。

平成22年7月28日

 国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦