独立行政法人国立病院機構指宿医療センター

月アーカイブ: 8月 2011

指宿 菜の花通信(No.22)「ミッション」

後輩のH先生はそれまで週2日、坊津町立病院(当時、現在は市立病院)に診療応援に行っていた。その病院から常勤で来て欲しいと要請された。私は「先生は唐津の出身だし、同じ‟津‟の坊津だし、縁があるではないですか」と話した。殆ど意味不明の「口説き」にもかかわらず、H先生は「いいですよ」と引き受けて、20年そこで地域医療を担っている。

これももう15年位前の話だが、県立大島病院が副院長を求めていた。奄美大島出身の後輩のS先生にどうしたものかと相談された。私は「今、大島病院で亡くなっていく人達は、未だ大和ちゅう、島ちゅうという意識をもった世代だ。地元出身の先生がその人々を見送ってあげると、心安らかにあの世に行けるのではないですか。じいちゃん、ばぁちゃん達が喜ぶと思うよ」と話した。そんな話に乗って、S先生が赴任したとは思わないが、その後、奄美大島で地域医療をしっかり支えている。

今度は、比較的最近の事で、当院の田中院長が赴任してきた時の話だ。平成18年秋頃、田中先生が当時属していた鹿児島大学病院を出ることになった。そこの教授に田中先生を指宿病院にどうですかと話した。教授は「えっ、指宿病院ですか。もっと彼にふさわしいポジションはないのですか」と言われた。もっともな事で、彼はその大きな内科教室の教授の次のポジションにいた。その人を当時、国立病院機構の中でも最も下の方にランクされる大赤字病院・指宿病院の診療部長にという話だから、普通では考えられない人事であった。

指宿病院は平成14年24名いた医師が平成18年は14名に減っていた。平成19年度は10名程度になり、病院としてやっていけないのではという瀬戸際に追い詰められていた。当時の院長が涙ぐましい努力をしていたが、全体の流れの中でいかんともしがたい状況にあった。九州の国立病院機構の有力院長が「指宿病院の再建は無理だよ」と冷たく言われたこともあった。しかし、指宿病院は地域の中核病院であり、これがダウンしてしまうと、地域医療・地域社会が成り立たないことになる。私は前院長と同期で、近くにいたのでその苦衷が分かっていた。

そんな中で、私は「田中先生、日本一の赤字病院を再建出来るのは先生しかいない」と口説いた。そして平成19年4月、教授も彼の「心意気」を是とし、消化器内科3名を加え、計4名で赴任することになった。それから2年後、平成21年4月、田中院長が誕生した。そして、誰も出来そうにないと思っていた指宿病院の再建が実現しつつある。面白いものだ。

平成23年8月24日

 国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦

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指宿 菜の花通信(No.22)「ミッション」

後輩のH先生はそれまで週2日、坊津町立病院(当時、現在は市立病院)に診療応援に行っていた。その病院から常勤で来て欲しいと要請された。私は「先生は唐津の出身だし、同じ‟津‟の坊津だし、縁があるではないですか」と話した。殆ど意味不明の「口説き」にもかかわらず、H先生は「いいですよ」と引き受けて、20年そこで地域医療を担っている。

これももう15年位前の話だが、県立大島病院が副院長を求めていた。奄美大島出身の後輩のS先生にどうしたものかと相談された。私は「今、大島病院で亡くなっていく人達は、未だ大和ちゅう、島ちゅうという意識をもった世代だ。地元出身の先生がその人々を見送ってあげると、心安らかにあの世に行けるのではないですか。じいちゃん、ばぁちゃん達が喜ぶと思うよ」と話した。そんな話に乗って、S先生が赴任したとは思わないが、その後、奄美大島で地域医療をしっかり支えている。

今度は、比較的最近の事で、当院の田中院長が赴任してきた時の話だ。平成18年秋頃、田中先生が当時属していた鹿児島大学病院を出ることになった。そこの教授に田中先生を指宿病院にどうですかと話した。教授は「えっ、指宿病院ですか。もっと彼にふさわしいポジションはないのですか」と言われた。もっともな事で、彼はその大きな内科教室の教授の次のポジションにいた。その人を当時、国立病院機構の中でも最も下の方にランクされる大赤字病院・指宿病院の診療部長にという話だから、普通では考えられない人事であった。

指宿病院は平成14年24名いた医師が平成18年は14名に減っていた。平成19年度は10名程度になり、病院としてやっていけないのではという瀬戸際に追い詰められていた。当時の院長が涙ぐましい努力をしていたが、全体の流れの中でいかんともしがたい状況にあった。九州の国立病院機構の有力院長が「指宿病院の再建は無理だよ」と冷たく言われたこともあった。しかし、指宿病院は地域の中核病院であり、これがダウンしてしまうと、地域医療・地域社会が成り立たないことになる。私は前院長と同期で、近くにいたのでその苦衷が分かっていた。

そんな中で、私は「田中先生、日本一の赤字病院を再建出来るのは先生しかいない」と口説いた。そして平成19年4月、教授も彼の「心意気」を是とし、消化器内科3名を加え、計4名で赴任することになった。それから2年後、平成21年4月、田中院長が誕生した。そして、誰も出来そうにないと思っていた指宿病院の再建が実現しつつある。面白いものだ。

平成23年8月24日

 国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦