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指宿 菜の花 通信(No223) 田舎医者の流儀(198)・・・やりもそッ、真剣勝負をッ

 中村きい子著 「女と刀」を読んだ。鹿児島出身の作家だし、読まなくてはと思っていたが、なんだか主題が重く感じられ、今まで読まなかった。最近、書店で新書版が山積みされていた、やはり読まなくちゃと思った。

 『この小説の主人公、権領司キヲは薩摩藩士(郷士)の娘である。郷士とは、武士でありながら城下町に住まず、農村で農業を営む下級武士のこと。それでも平民とは厳しく一線を画さねばならない。キヲの父は、生活がいかに貧しくても誇り高くあれと子供たちに教えた。キヲは父祖の教えを不断に凌駕、更新していく激しい人物として描かれている。キヲは何事にも徹底して挑む人で、誰に対しでも容赦がない。面子、世間体、立ち回りといったことが眼中になく、丸く収める、折れる、譲るといった行為を一切やらない。その結果、自ら額に汗して得たものを手放すことになっても厭わない。おっかない人だ。』
(斎藤真理子解説)

 18歳時、キヲは「おまえを嫁にやることに決めた、さよう心得ておけ。」といきなり父に言われた。父の一存で決められたこの縁談を、「さよう心得ようにも父さま、まだわたしは相手となるかたのお名も承っておりもさん。わたしの夫と決められた相手が、どのような腹の持ち主か、剛胆なお人か、どんなこころの持ち主かも知りもさん。」と問うても、一切聞き入れてもらえず嫁入りが決まった。

 嫁いで半年目、離婚しなければならなかった。父が「うちの嫁は、仕事のうえでも情ということでも、ほんにきつか胸の持ち主じゃ。年老いたら『夜叉』となって苦しめるられるのではなかろうか。」と姑が洩らしているのを聞き及び、「娘を『夜叉』などとよぶようなところにおいておくということは出来ん。」と実家に戻された。

 父の決めた縁談はこうして父により破談となり、キヲは実家に舞い戻った。出戻りのキヲに「キヲ殿でなければ、他に妻は娶らぬ。」という御人が現れた、鉄道に勤める人で曲折はあったがキオは再度嫁入りした。「キヲ殿でなければ。」とロにされたそれがある以上、わたしは夫兵衛門殿のその情を知らねばならぬ。それをわたしは兵衛門殿に求めた。されど、兵衛門殿にはその情の有るや無しやも、杳とわからぬままであった。

 そうこうしている内に夫兵衛門に、想い人ができたのである。わたしの右手は兵衛門殿のほおにしたたか飛んでいた。「男をッ、たたいたなッ。」声を震わせながら兵衛門殿が間近に立った。「やりもそ、真剣勝負をッ。」今夜こそやりもそ、真剣勝負をといった気概でわたしも向きあった。お互いが人間の根のところで向きあうということのないかぎり、どうして一緒に生きてゆけよう。今宵、ニ人で真剣に向きあい、火花をちらそうとした。しかし、夫はその思いに何も答えようとしなかった。

 そんな気性の激しいキヲであったが、生涯で心通わした人が2人いた。一人は母の姉初女、万事控えめで、もの静かな母とちがって、気性が激しく、生きることもわがのぞみどおりのみちをとるといった姿勢をもっていた。初音は士族の出身以外の男とは、生涯を決める相手ではないとされているにもかかわらず、こともあろうにザイよりもまだ卑しくみられてきた「博打うち」を夫と選んだ。わたしはわが血筋のなかで、この伯母に最も好感をよせていた、初女もまた他の弟妹よりも、ことのほかわたしを慈しんでいた。

 もう一人は息子紀一である。小学4年になったとき、担任の教師の差別に抗議してストライキに及んだ。キヲは「教師がなにゆえにおまえたちに差別をしたか、そこの根のところをただし、それを教師から確とした答えをとるまでは、突く手はゆるめるな。」と励ました。紀一はそれを忠実に実行した。その姿勢にキオは満足し、期待をしていたが病気で若死にする。

 夫、更に一緒に暮らす嫁とも心通わず、拠り所をなくしたキヲは父の直左衛門に、家にある刀・朱鞘のひとふりを是非と乞うた。「これからの生き方を、おのれの意に叶った方法でやりとうございもす。それには、どうであろうともこの刀が必要でございもす。父さま、この女はそれまでに不本意な結婚を二度も強いられ、それに従って参りもした、せめてその償いとしてでも、この女の意を汲みいれたもして、その刀を是非ともわたしに。」と請うた。キヲは刀を心の拠り所にしようとした。

 キヲは「刀のひとふりの重さほどもないおまえさまと、もはや共に生きるというのぞみは、もちえもさぬ。」と70歳の時離婚を決意する。娘の成に「女と生まれてよかったのか。」と問われ、「このあといくたび生まれ変わろうとも、わたしがねがうのは女じゃ。」いささかのためらいもなく、こう言うた。「女と生まれたがゆえに、これまで担ってきたこの苛酷なる栄光。それは、わたしのものである。」と。

 激しい薩摩の女の生きざまを描いた中村きい子の小説である。気の弱い私は自らに厳しく律する生き様には共感をするが、キヲのようにそれを他人にも求める事は出来ない。

令和5年2月15日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦