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指宿 菜の花 通信(No234) 田舎医者の流儀(209)・・・発信力を高めよう !!

 我々は平成4年(1992年)3月 国立病院南九州中央病院(現鹿児島医療センター)に第二循環器科を立ち上げた。その目的は鹿児島の循環器病の患者さんが北九州や熊本に治療に行かざるを得ない状況を改善し、地元鹿児島で全ての治療が可能な体制を作り上げる事だった。それから約30年後輩たちの努力により今や心臓移植など特殊な領域を除き循環器病の治療が殆ど鹿児島で出来るようになった。

 不整脈班は心房細動のアブレーション治療など症例数も多く、成績も良い。悩みは患者さんが多く6か月ぐらいの予約待ちという事だ。冠動脈治療チームは高度の経験とそれに基づいた治療成績の良さを誇っている。弁膜症治療では大動脈弁狭窄症に対して手術困難例に経カテーテル大動脈弁留置術 TAVIを行っている。西日本でトップクラスの症例をこなし、人工透析患者への施行可な施設認定も受けている。最近は僧帽弁閉鎖不全症への年齢や合併症のために外科的手術が適応とならない患者さんに対して、MitraClip®(マイトラクリップ)というカテーテルによる低侵襲治療の症例も増えてきている。

 循環器病救急治療のレベルも高い。心筋梗塞の治療では搬入されて短時間でカテーテル治療が出来るシステムが確立している。重症例では直ちに小型体外循環治療が出来る。最近、九州大学で心不全治療を学んだ同僚が帰ってきた。この分野の治療の進歩も新しくチームにもたらされた。このように循環器病の治療は急性期から慢性期まで高レベルの治療システムを確立してきた。それはそれで素晴らしいことだと思っている。悩みはこれらの成果を「論文化」することが十分になされていない事だ。少しずつ意識が変わってきて症例報告などはなされるようになってきた。それでもやっている仕事に較べて論文数が少ない。ハッパを掛けているがなかなか進まない。指導力の不足を痛感している。

 その中で鹿児島大学医学部消化器外科大塚隆生教授の指導力に学ぶことが多い。大塚先生は1988年に加治木高校を卒業、九州大学医学部入学、卒業後外科医局に入局、2000年4月に鹿児島大学消化器外科の教授に選任・赴任された。3年少々しかならないが若い先生方が先生のもとに集まり成果を挙げている。その力量に注目している。

 先生は言う。『「医師は地方にいても世界と戦える職業である。」教室から発表する臨床論文は日々の診療の経過報告であるし、どんなに僻地にいても珍しい1例を英文で報告すれば、世界中の人が目にすることができる。』「どの診療科に属していてもぶれてはいけない医師の基本姿勢は地域に密着した医療提供であり、ここから様々なものが生み出されてくる。大学外科学教室における臨床、研究、教育の基盤となるのは、言うまでもなく手術での地域医療への貢献である。よい外科医療を提供すれば地域から信頼され、紹介患者は自然と増える。そして手術件数が増えれば若手外科医の執刀機会が増え、豊富な臨床データや切除標本を用いた質の高い研究が可能となり、それらを通した教育もできる。この診療、研究、教育のサイクルがうまく回りだすと地域医療が充実するだけでなく、活躍の場を求める若者や研究費も自然と集まってきて組織が活性化し、さらに国内だけでなく世界からも注目されるようになる。」

 「外科領域にもグローバル化の波がきており、世界と戦うにはビッグデータやランダム化比較試験を駆使する多施設共同研究が必須となり、国内あるいは国際多施設共同でデータを集積することの意義は益々高くなってくる。しかし一方で、そのデータ登録と収集に若手が忙殺されるという負の一面があることも否めない。そして臨床の忙しさも相俟って自施設で後輩の研究指導を放棄してしまった外科教室も多くなっているように感じる。最近では自前で大学院生の基礎研究の指導をできる外科教室が少なくなってきているが、鹿児島大学第一外科にはそれを実行できるポテンシャルが残っており、是非その体制も整えていきたい。」

 大塚教授は自分の立つ位置をよく理解・発信されている。若手の先生方が先生の意を受けて論文を多く発表されている。それを実現していく教授の力量・指導力の高さに敬服している。我々の循環器グループも地域の求める要求に答えてレベルの高い臨床を提供している。しかし、残念ながらそれを論文化し、発信していくことは不十分である。消化器外科教室に負けない発信力を発揮していきたいものだ。

令和5年7月5日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦