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指宿 菜の花 通信(No244) 田舎医者の流儀(219)・・・80歳になりました

 12月11日ついに80歳になった。自分がこの年になるとは信じがたい。80歳の日常は今までと変わらない、週2日は指宿医療センターでの外来診療、週一ゴルフ、残り4日は小山田の農園暮らし、シイタケの収穫を楽しみ、ホウレン草や小松菜の野菜作りに精出している。

 12月7日70歳代最後のゴルフ、93で回り、12月14日80歳になって初めてのゴルフ、いつものメンバーと高牧カントリーをラウンドし、91で回った。いつものことでああすれば良かった、こうすれば良かったの反省ゴルフだ。いつまでラウンドできるか判らないが、ラウンド出来るだけでもいいかと思っている。と言いながらも、やはり80台で回りたいね !!。

 今年この「菜の花通信」25回書いた。その中から話題を拾ってみた。内田樹は指摘する。「ウクライナが悪くて、ロシアが正しいと声高に主張する支援者が国際社会にまったくいない。これはかなり致命的なことだ。国際社会におけるプレゼンスというのは軍事力や経済力だけでは決まらない。 思想的指南力とか道徳的な高潔が国際社会における地位にはおおきくかかわってくる」と言う、おおいに共感する。

 3月末に鹿児島県知事と鹿児島労働局長から感謝状を戴いた。県の身体障碍者行政と労働省の労災認定の仕事にそれぞれ30年位関わって、この3月で辞任した。今年末には80歳になるのでそれまでには辞めたいと思っていたので、一区切りがついた。これで公の仕事は指宿医療センターの非常勤医師として週2日外来診療を行う事のみになった。

 後輩たちと時々会い飯食いなどしながら話を聞くのを楽しみにしている。やっている臨床力に較べれば論文が少ないと気になっていた。しかし、彼らがその気になり論文も少しずつ出るようになった。その方向性を支援していきたい。我々循環器グループのOB会は宮内会長はじめ役員の先生方が後輩たちへの支援体制作りに尽力している。そんな全体の力が鹿児島の循環器医療に貢献していくと思われる。

 メイ・サートン著「終盤戦 79歳の日記」という本を読んだ。著者メイ・サートンは「前々から、80歳の誕生日に、生まれて79年目の一年間の日記を出したいという思いがあった。日々の歓びやふりかかってくるさまざまな問題、老年になって未知の労苦や驚きへと開かれるいくつもの扉について、静かに淡々と綴る、そんな日記を書いて出版したいと思っていた」という。さて80歳の私はどうする。再度「田舎医者の流儀」その2を出すか思案している。

 桜ランがついに花を付けた。坊津の実家の入り口に、大木に這うように育っていた桜ランは、夏になると花を付けてかすかな芳香を出していた。我が家の夏の風物詩で、帰省した時の楽しみの一つであった。2016年小山田に農園を作ってそこで桜ランを育て、花を咲かせようとした。小山田の方の寒波が酷いのでさし木で育てようとしたが失敗した。寒さ対策で、冬場は小屋の中に入れて枯れずに済んだが、今度は真夏の酷暑に葉が日焼けして枯れてしまった。寒さにも酷暑にも弱いことが判った。そんな経験を経て暑さ、寒さ対策をしてこの2年間は育ててきた、それでも花を咲かせるのは難しいと思っていた。ところが6月のはじめ蕾が5個出てきて、6月8日にはついに花が咲いた。7年目でやっと花を咲かせる事が出来た。諦めないで工夫をしてきたのが良かったのか。

 『世の中の楽しさには、ディズニーランド的な「楽しさ」と、読書のような「愉しさ」とがある、とわたしは考える。前者は動的で集団的で一時的、いわばバーベキュー的な楽しさである。あるいは見出し的にいえば、強烈なドーパミン的、エンドルフィン的楽しさだといっていい。みんなでわいわいがやがや。イエーィとかいって。後者は静的で単独的で永続的、いわば読書的を愉しさである(読書の他に考えつかなかった)。こちらは穏やかなセロトニン的、オキシトシン的愉しさである。映画を見る、音楽を聴く、絵を見る、昆虫採集をする、など。じわりと愉しい』『もうこの歳になると、わたしはいまでは圧倒的に「愉しさ」を求める。実際にもそうだ」もちろん「楽しさ」も好きである。が、あんまり「楽しい」とか「楽しむ」とかはいいたくない。「人生を楽しみたい」などとはロが裂けてもいいたくない。』 無敵の老後(世古浩爾著 大和書房)

 アメリカのMLB ア・リーグで大谷翔平がついにホームラン王になった、すごい。日本人の体格では難しいと考えられていたことをいとも簡単(?)にやってしまった。理解を超えた節制と鍛錬の賜物であろう。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)食事会場では、おにぎりや唐揚げを見つめながらも、小さく「がまん」とつぶやいて離れていく大谷の姿が目撃されていた。私は糖尿病の患者さんにこの話をよくする、食事は「がまんがまん」で行きましょうと。この話結構受けているよ。

 「1920年代のことだった。アメリカのゼネラル.エレクトリック社を中心とする電球メ―力―は力ルテルを組み、平均で約2500時間だった白熱電球の寿命を1000時間以下に短縮した。効果は抜群で、売上げと利益は急増した。今でもその伝統は引き継がれている。システム全体が故障するからではなく、内蔵された小さな電気部品が壊れるからだ。それらは容易にかつ低コストで、長持ちするように設計できるはずだが、そうした部品の修理費用は法外に高くつき、機器全体を買い替えるのとそれほど変わらない。多くの場合、修理できないように設計されている」と言う。資源を浪費し、環境悪化の原因の一つになっている「計画的陳腐化」などと言う悪手を即刻辞めるべきだ。

令和5年12月15日

国立病院機構指宿医療センター 総合内科
 中 村 一 彦